天草大王は明治の初め頃、清国(上海、香港)から天草島へ里帰りした海外出 稼ぎ者が土産として、ランシャンの種卵を持ち帰り、母鶏孵化させ、島内飼育 の在来コーチン、シャモなどとの交雑を行い、肉用タイプの巨大な「大王」のよ うな羽装と体格に改良された鶏です。
羽色は名古屋種に似た黄褐色に黒斑が混じる濃猩々(のうしょうじょう)色 で、体は極めて大きく、雄の大きなものでは、体重が1,700 ~ 1,800匁(6.4 ~ 6.8kg)あったと言われています。
(引用:三井高遂「帝国家禽研究会会報第4号」、伊藤車隹吉「養鶏綜典」朝倉書店)
飼養地名とその大きさから「天草大王」と名付けられたものと思われます。 天草大王が最も多く飼われていた明治の後期から大正時代には、若雄はすべて仲買人が買い集め、長崎県島原の鶏肉 問屋から「博多水たき用肉鶏」として出荷され、雄鶏の発情前のものは、美味で産卵前の雌同様、高値で取り引きされ たと記録されています。
(引用:浦上武次郎「郷土鶏料理の伝統と復活」日本畜産振興会)
しかし、天草大王は産卵率の低い大型種であったことも災いし、欧州から輸入された卵肉兼用種の普及により昭和 初期頃に絶滅しました。

そこで、熊本県農業研究センターでは、「肥後五鶏」の保存・復元に取り組むなかで、肉質に定評があり唯一絶滅した ままの状態であった「天草大王」を復元し、熊本県産の地鶏肉生産鶏として活用することにしました。絶滅した天草大 王を復元するために、平成4年にアメリカからランシャン種を輸入し、熊本コーチンと大シャモを交配させた後、7世 代という気の遠くなるような選抜淘汰を繰り返し、8年の歳月を経て復元に成功しました。
復元の参考としたのは、文献に記載されていた雄体重と羽色(濃猩々色)、さらに天草大王の白黒写真(右図)と天草大王を描 いた油絵(雄雌)を撮影した写真です。
(白黒写真引用引用:三井高遂・衣川義雄「家畜図鑑」成美堂書店) 復元した天草大王は、文献にほぼ匹敵する大きさ(体重:1,700 ~ 1,800匁(6.4 ~ 6.8kg)で、羽色も天草大王特有の濃猩々色